理事長挨拶
理事長あいさつ
2025年 年頭所感

学会員の皆様、今年もよろしくお願いします。元日の能登半島地震で幕を開けた2024年は世界的な異常気象と自然災害、国内外の政情不安、流動型犯罪グループ(トクリュウ)による強盗・詐欺事件の頻発、止まらない少子化、医師偏在・医療経営逼迫に伴う問題の顕在化など、とんでもない波乱の1年でしたが、2025年の年明け(少なくとも正月の3日間)はとりあえず国内で大きな災害、事件は起こらなかったようで、ほっとしています。会員の皆さん方にとって、曜日の並びから9連休となった年末年始はインフルエンザの流行もあり、例年以上に救急診療に忙殺されたことと思います。大変お疲れ様でした。
昨年のノーベル平和賞は日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が受賞され、大変うれしい出来事の一つでした。しかし、2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻からほぼ3年、2023年10月7日のパレスチナ自治区ガザでのイスラエルとパレスチナの戦闘から1年以上が経過しましたが、いまだ収束の兆しさえ見えません。今もなお戦争は続いているどころか、北朝鮮の参戦や中東周辺諸国を見てもむしろ戦火は拡大しています。塩野七生氏によると、2000年前に地中海全域を含む大帝国を築いた古代ローマ帝国は従属した国や地域に根付く信仰や慣習の継続を認めたそうです。つまり、いったん戦いが終われば、勝った方が負けた方に譲ることにより安定した社会を作り上げていったということで、世界中が古代ローマの「寛容」の精神に思いを致すことを強く望むばかりです。平和なくして国民の医療は成り立ちません。
わが国では昨年の4月から医師の働き方改革が制度として開始されました。小児救急医療体制の維持にご苦労されている施設も少なくないことと推察します。もちろん、医師を含めて労働者への過重労働の強制が許されないことはいうまでもありませんが、一方で多くの経験と知識を積んで病気の子どもやその家族のために最善の医療を尽くそうという医療従事者の意欲に上限を設けかねない可能性も否定はできません。さらに、この制度を語る時によく登場するのは、「上司の指示による業務ではない」という意味で用いられる「自己研鑽」という言葉です。しかし、この場合の「自己研鑽」には時間外労働をマスクするための方便というニュアンスがどこかに付きまとう感が拭えません。そして、これを含む全体的に“危うい感じ”というのは、医療提供体制の抜本的な整備なしに、この制度だけを導入しようとしたことも一因ではないかと考えます。例えば、ドイツでは病院の設立に州の許可が必要なので、心臓血管外科の手術ができる病院の数は人口100万人あたり1か所とコントロールされており、その結果として医療従事者の集約化と分業体制の実現が可能となり、医師の実働時間は厳守できているそうです。子どもと保護者に寄り添うことが不可欠の小児救急医療をそれと同列に論じることはできませんが、少なくとも国が主導して早急に医療体制の再編に取り組む必要があると思われます。
中世ヨーロッパの貴族社会を支えた道徳観(徳と善意を重視)に端を発し、イギリスのジェントルマンシップにもつながる考え方として「ノブレス・オブリージュ(高貴なるものの責務:Noblesse oblige)」が挙げられます(君塚直隆.貴族と何か、2023)。「ノブレス・オブリージュ」は貴族や上流階級などの財産・権力・地位を持つ者はそれ相応の社会的責任や義務を負うことを意味し、第一次世界大戦下のイギリスでは「ノブレス・オブリージュ」の精神が根づいていたため、国の危急存亡の危機に際して多くの上流階級の子弟が志願して戦地に赴きました。その結果、イギリスは何とか勝利を手にしましたが、国全体の戦死者は8人に1人の割合であったのに対して上流階級の子弟は5人に1人が命を失ったとされています。彼らはまさに命と引き換えに高貴なるものの責務を果たしたといえます。ドイツの哲学者カントは「他者に共感し、他者の幸せのために尽くすことが、自分の幸せにつながる」と述べ、作家の開高 健は「位高ければ、務め多し」と記しています。「自己研鑽」が字義通りに評価され、自らの「自己研鑽」を医師が誇りをもって申告できるような世の中になって欲しいと願っています。